上野停車場より汽車にて「王子」にて下車すれば、即ち、飛鳥山公園にて、春の花見に屈指の名所なり、この附近に見物すべきもの多し。
1901年発行の旅行案内(ガイドブック)で飛鳥山周辺が見どころいっぱいの観光スポットとして紹介されていました。
編集員B、ガイドブックに沿って王子の街を歩いてみましたよ!
観光スポット1.王子神社
王子神社。王子停車場の西北三町にあり元享年間の創建にして、紀伊国熊野権現を勧請せしものにて、社殿の搆造も之を模擬せしものなりといふ。
王子神社の創建年は定かではありませんが、領主であった豊島氏が1322年に紀州(現在の和歌山県)熊野三社より王子大神を勧請したことにより、熊野にならって景観を整えたといわれています。
江戸時代、徳川家代々の将軍から篤く崇敬されていました。「王子権現」の名称で呼ばれ、江戸の名所の1つとなりました。
観光スポット2.王子稲荷神社
王子稲荷社。王子神社の北にあり、有名なる古祠なり。
王子稲荷神社は「関八州の稲荷」の頭領と称され、江戸時代より大人気の稲荷神社。
江戸の名所として絵画にもたくさん描かれています。
(歌川広重 「江都名所 王子稲荷の祠」)
大晦日の「王子の狐」。狐に扮した人々の行列は、装束稲荷神社から王子稲荷神社に向かいます↓
王子稲荷神社の帰りに食べたい↓
観光スポット3.滝野川
瀧の川。王子神社と飛鳥山との間を流るる小川いふ、王子神社を、紀伊の熊野権現になぞらへしより、この川を「音無川」といへり、王子の町より十町ほど行けば、この川の両岸に楓樹多くありて、秋は、東都第一の紅葉の名所なり。
王子神社が紀伊(現在の和歌山県)の熊野にならって景観を整えたことに伴い、滝野川は音無川と呼ばれるようになりました。
現在の音無川。現在では音無親水公園としても整備されています。
明治時代の滝野川。
(小川一真 「東京風景」 54頁 小川一真出版部 明治44年4月)
和歌山県の熊野本宮大社は現在は高台に移設されていますが、かつて本宮があった場所の前には音無川が流れており、この川を渡らないと本宮には行けませんでした。よって熊野詣(くまのもうで)といえば音無川の名が連想されるほど名を知られた川だったそうです。
滝野川と言えばトキハソース↓
滝野川神社の御朱印はV字型で有名!↓
観光スポット4.飛鳥山から見下ろすたくさんの工場
各工場。王子には、製紙場をはじめ、多くの工場ありて、飛鳥山より見下せば、烟突の林立せるを見るべく、そぞろに文明工場の壮大を想はしむべし。
飛鳥山から見下ろす場所にたくさんの工場があったことが伺えます。有名な工場と言えば、渋沢栄一氏が中心となって設立した王子製紙会社があります。
飛鳥山から見下ろした景色。明治時代には眼下に工場の煙突がたくさん見えてたんですね。想像がつきません。。。
こちらは別の角度から。
明治時代、紙は海外から輸入していましたが、渋沢氏は日本が近代化するには新聞紙や書籍を大量に安価で提供することが必要であるとの理念から製紙業に着手したそうです。この辺りの話は飛鳥山にある紙の博物館で詳しく説明されていますよ。
観光が終わったら:尾久の渡船場から川を渡り西新井大師へ
飛鳥山を見物して、製紙場の裏より、荒川の岸にいで、右に「尾久の渡船場」にいたり、川を渡りて、南足立郡西新井村なる大師堂に参詣すべし。
尾久の渡船場とは西尾久3丁目と足立区小台2丁目を結んでいた小台の渡しのこと。江戸時代には重要な交通機関として機能し、西新井大師に参詣する人々に多く利用されました。現在では小台橋のあるあたりだそう。
昔の人はここを舟で渡っていたんですね。近未来的に整備された河岸をみていると時代の流れをひしひしと感じます。
いかがでしたか。
いつの時代も人は旅行が好き。なんだか私もプチ旅行に行きたくなってきました。
(参考・引用図書:「東京横浜一週間案内」史伝編纂所(1901年)70~71頁)
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