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飛鳥山で大正9年の花見での泥酔者の職業・学歴・お酒の種類・年齢別の人数が判明!

飛鳥山 桜

桜の名所、飛鳥山。
そしていつの時代も花見にお酒は欠かせないですよね。

飛鳥山には戦前、お花見の時期に泥酔者救護所というものが設けられていました。そこには医師、看護人、事務員が待機しており、泥酔者がひっきりなしに担架に乗せられて運ばれてきたんだそう。

1920年(大正9年)4月8日から18日の11日間における泥酔者の人数

1920年(大正9年)4月8日から18日の11日間における泥酔者の人数は443人。その年齢別の内訳がこちら。

15-20歳 70人(男68人 女2人)
21-25歳 152人(男148人 女4人)
26-30歳 89人(男84人 女5人)
31-40歳 69人(男60人 女9人)
41‐50歳 38人(男35人 女3人)
51‐60歳 8人(男8人 女0人)
61歳‐ 6人(男5人 女1人)

15歳から20歳の枠があることにびっくり!いやー、おおらかな時代ですね。

51‐60歳の8人と61歳以降の6人は、大正時代の平均寿命が44歳前後(厚労省調べ)だったことを考えると、ある意味すごい。今でいうと95歳を越えた高齢者の方が飛鳥山に花見に来てお酒を飲んで泥酔する、ようなイメージでしょうか。

飛鳥山

救護所に運ばれてきた人々の様子

救護所に運ばれてきた人々の様子は、

「手足を縛されてをる職人風の男は、筵(むしろ)の上を轉(ころ)がりながら、自己の束縛されたのを、説に残念がつてをる。」

「商人風の男は、...腕力で看護の婦人を突き飛ばし、そして部屋を飛出して、戸外に逃出さうとするのだ。」

「女工のやうな廿一二(21)歳の娘は、感傷的な細い聲(こえ)を絞り出して、何事か姉さんに謝罪してをる。」

まさに救う方も救われる方も命がけです。

この統計がとられた救護所は東京禁酒会が設置しましたが、これとは別に警視庁も同様の救護所を設置していました。同じくらいの人数が運ばれてきたと想定すると、飛鳥山の花見の賑わいが容易に想像できます。そして、とってもカオス!ですね。

飛鳥山

泥酔者の職業別の統計

職業別の統計もありました。っていうか、泥酔者の職業別の統計なんてとってたんですね(笑)

職工 101人
職人 101人
商人 35人
雇人 35人
会社員 20人
人夫 16人
官吏 10人
店員 1人
学生 9人
電車々掌運転手 7人
鉄道省運転手 5人

一番多いのが職人・職工の計202人。当時は王子駅周辺に近代的な工場がたくさんあったからでしょう。

人夫(にんぷ)とはいわゆる肉体労働者のこと。

官吏(かんり)とは旧制度において官公庁や軍などの国家機関に勤務する人です。

興味深いのは、電車車掌・運転手が7人、鉄道省運転手が5人と市電・鉄道関係者が別枠でカウントされていること。現代でも電車が大好きな方はたくさんいらっしゃいますが、大正時代には電車関係はまさに花形の職業だったんですね。

飛鳥山

泥酔者の学歴の統計

なんと!泥酔者の学歴の統計もありました。もう何でもありですね。

専門學校卒業程度 3人
中學卒業程度 11人
高等小學校卒業程度 41人
尋常小學校卒業程度 96人
無教育 20人
不詳 18人

一番人数が多い尋常小學校卒業程度とは、現在の小学校1年から6年(7歳から12歳)の教育を受けた人々のこと。

次に多い高等小學校卒業程度とは、現在の中学校1年から2年(13歳、14歳)の教育を受けた人々のこと。

中學卒業程度の中學とは旧制中学校のこと。13歳から17歳の男子のみが教育を受けられます。

当時は尋常小學校を卒業したら、高等小學校や旧制中学校などに進学するか、就職していたんです。泥酔者の統計から、思わず当時の教育環境を知ることになりました。

飛鳥山

泥酔者が飲んだ酒の種類の統計

最後は飲んだお酒の種類の統計。ここまでやるか~。

清酒 169人
麥酒(麦酒=ビール) 5人
火酒(アルコールの強い蒸留酒) 2人
ウヰスキー 2人
焼酎 2人
葡萄酒 2人
泡盛 3人
酒、麥酒 2人
酒、葡萄酒、泡盛 1人
酒、焼酎、泡盛 1人

清酒が圧倒的に大人気ですね。ビールが少ないなと思ったんですが、逆に「ビールくらいじゃ泥酔しないよ」ってことなんでしょうか。

「酒、葡萄酒、泡盛」と「酒、焼酎、泡盛」と答えた二人は、すでに酔いが醒めていたんでしょうね。真面目な人とお見受けします笑

ここまで書いてみてふと思ったんですが、桜を見ながら酒を飲む姿は今も昔も大して変わらないのかも。
なんだか無性に飛鳥山に行きたくなりました。

参考・引用図書:卜部幾太郎「人と酒」京文社(1922年) 78‐83頁
注:引用部分のカッコ書きは赤羽マガジンの追記