突然はじまります。「キタクだった人」。ゆる~くはじめようと思います。ゆる~く☆彡
人生の中で、ほんの一瞬でも北区に住んだり、働いたことのあるひとを、ただただゆる~く紹介するコーナー。
その人の過去の北区がどんなものだったか、ほんの一瞬だけ切り取って紹介できたら。
記念すべき初登場はアツさん↓30年以上前、赤羽西に住んでたいそうな。

イトーヨーカドー、こんなところにあったけ?おれ、布団、ここで買ったんだよ。

そーそー、この通り(弁天通り)だよ。仕事、仕事で、職場から家に帰るだけの毎日でさー。赤羽住んでたのに、ほとんど東口で遊んでないっていう笑笑

年齢:53
北区で住んでた場所:赤羽
北区に住んでた時期:30年前
当時よく行ってたお店:店名忘れました。定食屋と中華屋
趣味:食べ歩き、スポーツ。
当時住んでた場所の印象:静か。近くにクリーニング店とコインランドリーがあり便利でした。
最近の北区へ一言:赤羽栄えてますね!
30年以上前に、社会人1年目に住んだのが赤羽西。
アパレルの婦人服販売の仕事に就職。吉祥寺で半年勤務したあとに大宮の店舗へ配属。勤務地が大宮になったことから通勤が便利で、そして、都内に住みたいという希望に合致して赤羽に住んだんだって。
駅から弁天通りを歩いて帰る途中にあった、定食屋2つと町中華が会社帰りの食事ローテーションだったそう。
編集員特に愛用していたのが、竹山食堂(たぶん)。


「仕事終わりに立ち寄ると、おれ以外みんなお酒飲みながらテレビ見てて。当時は酒まったく飲まなかったらさ、おれだけ一人定食食べてるっていう笑」と語るアツさん。
庚申坂付近のアパートで一人暮らし。「壁がうっすいアパートでさあ笑笑」


「お腹空いたら当時の彼女と坂を上ってコンビニに買い出しにいったな~」


最初のアパレルの会社は1年ほどで辞めて、それと同時に赤羽を離れたアツさん。その後、広告代理店でラジオ枠や雑誌広告の営業を経験して、起業。広告代理店を17年ものあいだ経営。
今は大手IT企業でお仕事してるそうな。


アツさんにとって赤羽は、たった半年だったけど社会人として最初に踏み出した時期に住んだ思い出の場所。
最後に、当時はお酒も飲まず、仕事と会社の往復の日々で、赤羽でお酒をまったく堪能しなかったとのことで、OK横丁でいい飲みっぷりのあとパシャリ。


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