平塚神社は平安時代に創建された源氏にゆかりのある神社。
北区を代表する作家、内田康夫氏の推理小説「浅見光彦」ミステリーシリーズでも度々事件の舞台として登場します。
それでは行ってみましょう♪
平塚神社とは?
平安後期である1118~1120年に創建と伝えられており、もともとはこの地を治めていた豊島氏の居城があった場所です。
鎌倉幕府の開祖である源頼朝の祖父・八幡太郎義家と2人の弟が奥州征伐(後三年の役)からの帰途に豊島氏を尋ね、その饗応への返礼として鎧一領と十一両観音像を贈りました。豊島氏は義家の武威を慕ってその鎧を埋め、塚を築き鎮守としました。さらに豊島氏は源氏三兄弟を平塚三所大明神として祀り社殿を造営、一族の繁栄を祈願しました。
この塚は「甲冑塚」と呼ばれましたが、あまり高い塚ではなかったため平塚と称されました。
「平塚神社というのは、源義家が後三年の役で奥州へ出陣した帰りに、鎧を埋めて塚を作ったのが始まりだってわかったんです」
「その塚がこんもりしていなくて、平らだったので、『平塚』って名つけたと書いてありましたよ」
出典:内田康夫 「金沢殺人事件」講談社
この地にあった豊島氏の居城は、室町時代に太田道灌により落城します。
江戸時代にはいってからは、将軍徳川家光の頃にこの地出身の針医山川城官貞久によって神社は再興され、家光からは寺領50石の寄進を受けました。
「細長い境内を歩いて、神殿の裏へ回った。名前どおり扁平な岡の「平塚」は、ケヤキの古木に囲まれ、ひっそりと鎮まっている。この塚に千年あまりも眠るのは、鎧に込められた名将源義家の魂魄だ。」
出典:内田康夫 「平家伝説殺人事件」 角川書店
この平塚、現在は立ち入り禁止になっています。
御朱印
いただいた御朱印はこちら。
「北区上中里鎮守」との記載が地元に根付いている感じがしてとてもいいですね。
右下と左上にそれぞれ緑と紫の扇のスタンプが押されています。
調べたところ源氏の子孫である佐竹一族は、家紋が扇に日の丸だそうです。平塚神社が源氏に関係した由緒のある神社であることを実感しますね。
12:00から13:00は昼休みなので御朱印対応不可です。ご注意を。
境内の様子
こじんまりとした木の鳥居をくぐります。
拝殿
こちらが拝殿。
大きな社額。
狛犬
獅子山狛が鎮座しています。珍しい態様の狛犬ですね。
御祭神が武家だからでしょうか、狛犬がとっても猛々しい感じがします。
手水舎
手指をきれいにしてお参り。
末社
石室神社(石室明神)。
御料稲荷神社と大門先・元稲荷神社。祭神はいずれも保食神。
菅原神社。御祭神は菅原道真の他、大己貴命(おおなむちのみこと)・豊島太郎近義命。
平塚亭でお団子を食べよう!
平塚神社の前にある平塚亭はとっても美味しい和菓子のお店。もちろん浅見光彦シリーズにも出てきます。
「浅見は『平塚亭』に寄って、串だんごを甘辛五本づつ、買った。ここの団子を母親の雪江が好物で、母を篭絡するにはこれに限った。」
「しぜん、足は平塚神社へ向かった。平塚亭のおばさんが浅見に気づいて、自慢の大福を頬張ったような顔で笑いかけてくれた。」
出典:内田康夫 「平家伝説殺人事件」 角川書店
たくさんあって迷っちゃいます。
レトロな包装紙がカワイイ♪
お団子は醤油が効いていて美味しいです。
豆大福も美味しかった!
平塚神社の御祭神・御利益
八幡太郎 源義家命(はちまんたろうみなもとのよしいえのみこと)源頼朝・義経や足利将軍家の先祖
賀茂次郎 源義綱命 (かもじろうみなもとのよしつなのみこと)義家公の次弟
新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)義家公の三弟
御利益:勝ち運 病気平癒 開運厄除 騎馬上達(交通安全) 武芸(スポーツ)上達 立身出世(就職 昇進) 事業繁栄 魔除け 心願成就
御祭神が武将なので、御利益はやっぱり武運系が多いですね。
イチョウの紅葉が綺麗です!
黄色の海といった感じで、とても綺麗です。
アクセス・行き方
地図はコチラ。
上中里駅を出たら右折します。
「上中里駅から旧電車通りへ登っていくダラダラ坂の右側には、源頼朝を祀る平塚神社の宏大な境内が続く。」
出典:内田康夫「平家伝説殺人事件」角川書店
坂道を登ります。右側は平塚神社の境内。
登り始めてしばらくすると右側に階段が見えてきます。
階段の先には鳥居が。ここを登るとすぐに拝殿です。
坂道を登り続けると本郷通りに出ます。そこから180度回転して、平塚神社前の駐車場を通ってお参りすることもできます。
なんだか浅見光彦シリーズをまた読みたくなっちゃいました。
平塚神社
住所:東京都北区上中里1丁目47−1
電話番号:03-3910-2860
主祭神: 源義家、源義綱、源義光