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NHK大河ドラマ「青天を衝け」はいよいよ佳境に入ってきましたね。
そんな栄一と北区王子の小話を一つ。
1873年(明治6年)、渋沢栄一により洋紙生産工場「抄紙会社」が現在の北区王子に設立されます。
イギリスから輸入した抄紙機(紙を生産する機械)を動かすため、栄一は、1874年に機械技師としてフランク・チースメン(Frank Cheesmen/イギリス人)、抄紙技師としてトーマス・ボットムリー(Thomas Bottmley/アメリカ人)を雇用します。
しかしながら、雇用外国人が滞在する洋式のホテルがないため、東京都北区岸町1丁目(当時は亀山という地名)に洋館を建設します。
東京都北区岸町1丁目はこの辺り。
二人の希望で、洋館には暖炉が設置されていたそうですよ。
彼らとの雇用契約が切れたのは1877年。その後、この洋館は空き家となりました。
ちょうど同じ頃、渋沢が当時住んでいた深川福住町界隈ではコレラが流行。妻の千代が非常に怖がったこともあり、空き家となっていた洋館に避難します。渋沢もここで半年ほど仮住まいをして活動しました。
北区王子の歴史を紐解くと身近に面白い話が出てきて興味深いですね。
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