稲付村の一里塚の説明版が赤羽西に新しく設置されたみたいです。
稲付村の歴史と一里塚についての説明が記載されていますよ。
場所は、赤羽西口の旧岩槻街道沿い。
稲付村の一里塚の説明版を背に左をみると、赤羽西交番があります。
稲付村の一里塚の説明版を背に右方面には、赤羽西二郵便局があります。
こちら。JR赤羽駅方面から旧岩槻街道を歩いてきて、真正寺坂の入り口を過ぎてすぐあたり。
稲付村の一里塚とは
稲付村の一里塚は、日本橋から日光まで続く日光御成道の三里目の一里塚。1604年頃に江戸幕府の指示により設置されました。
一里目の塚は文京区本郷に、二里目の塚は北区王子の西ヶ原一里塚、そして三里目の塚が稲付村の一里塚となります。現在は本郷の一里塚、稲付村の一里塚ともに撤去され、往事の面影はありません。
現存する西ヶ原一里塚に関する記事はこちら↓
赤羽西にも大きな一里塚があったと思うと、なんだか歴史のロマンを感じますね。
一里塚って?
一里塚とは、旅人の目印となるよう大きな街道の一里(約3.9キロメートル)毎に設置された塚のこと。駕籠(かご)を利用して旅をする人には、この塚が駕籠(かご)代の目安になりました。
また、木陰で旅人が休憩できるよう、榎などの木が植えられたことが特徴。張り巡らされた木の根っこのおかげで塚の崩壊を防ぐ目的もありました。
赤羽の街はどんどん変わっていきます。
昔の面影を知るために説明版を見つける散歩に出るのもいいですね。
情報提供していただいた旋風寺舞人様、いつもありがとうございます☆彡